2024.05.23 - Thu
【診ている・学んだ世界が違う!】病院と整体で見解が違う理由!

福岡県春日市にある
自律神経・妊活専門整体院PRANA
元理学療法士
院長:森部 瑛二です。
今日は際どいテーマかな?
だけども、
お客様には知っててほしい内容!
「病院と整体で見解が違う理由」
・病院では〇〇と言われた
・整骨院では〇〇と言われた
・整体では〇〇と言われたと、
行くところによって、
・言われることが全然違う!
・逆の事を言われた!などの、
経験ってあると思います。
お客様からしたら、
「何が正解」で
「何が間違っているのか?」
「どれを信じれば良いのか?」
分からなくなって、
・不安になったり
・路頭に迷ったり
・疑心暗鬼になって、
「整体」
「整骨院」
「病院」巡りしている
お客様も
いらっしゃるみたいですね。
そんな人のために今日は、
行くところによって、
お伝えされる内容が違う理由をお伝えしたいと思います♪
ゴールは同じだけど、どれも診ている世界・角度が全然違う!
・病院
・整骨院
・整体院
どれも、
「症状を治す」
「症状を改善させる」という
ゴールは同じです。
ですが、
病院と整骨・整体院では、
「診ているモノ」と、
「判断の評価基準」が
全然違うんです。
病院の場合:画像所見(レントゲン、MRI、CT)、血液データ、腹部エコーなど、
誰が診ても同じ判断結果になる
「客観性」を基準に治療方針を決めています。
⇧
※客観性:世の中の多くの人が共通に了解できる定義。
しかし、
整骨院・整体院では、
施術者が、
患者さんの身体に
・「触れること」
・「診ること」
・「動かすこと」で、
身体組織の
・抵抗感
・動き
・柔らかさ
・温度
・リズム
・反応などから、
病態・病状を判断し、施術方針を決定しないといけないため、
主観性が高いです。(むしろ、主観性しかない。)
⇧
徒手的な整形外科的テスト。動かしたりして出てくる反応によって、陽性・陰性を決めるテスト。
※主観性:個人個人がそれぞれの見方でとらえる定義。
ですので、
・客観性(データ、画像、数字)で判断して治療方針を決める病院と、
・主観的な方法(触る、診る、動かす)でしか判断できない整骨院・整体院では、
「身体を良くすること。」
⇨ゴールは一緒だけども、
「身体を診ている」
⇨角度、部位、世界が違う!
なので「見解」が違うのは
当たり前なんですね。
補足:客観性と主観性は「対局の存在」であるため、同じ見解になることはほぼないんです。
施術者の学んで来た方法・知識・経験が「深さ」となり、違いが出る。
病院と整骨院・整体院で見解が違うの理由はイメージできましたかー?
そして、
また厄介なことに、
施術するセラピストによっても、また見解が違ってくるんですね。
セラピストって、
・持っている資格は同じだけど、
「学んだ知識」
「学んだ技術」
「経験した内容」が、
人それぞれ全然違うんです。
例えば同じ職場の
セラピストでも、
・Aさんは関節に強い。
・Bさんは筋肉に強い。
・Cさんは内臓に強い。
・Dさんは全て強い。
⇧こんな感じで
ばらつきがありますし、
知識・技術を、
より細かく追求している人と
浅くしか学んでない人とでは、
・診えている
・感じている世界が
全然違うので、
返ってくる答えに違いが出てくるのは当然かと思います。
(例)
⇧知識が浅いと見えるもの少ない。
⇧知識が増えると
見えるものも増える。
こんな感じで見えている世界が全然違うと思います。
⇧なかにはこんな風なのも見えて・感じてくる
※より深く学んでいる人は、いろんな角度から身体を診ているので、スピリチュアルっぽい表現をしてくるようになります。
言葉では
表現できなくなるんですよねー。
⇧追求すればするほど、胡散臭くなるのどうにかして!笑
触ることが客観的(根拠)を遥かに凌駕するときがある!
病院で検査をしても、原因が見つからないケースって、意外にもめちゃくちゃ多いです。
・超ハイテク機械
・超優秀検査キッドを
使っても原因不明。
なんで?
( ;∀;)
答え⇩⇩⇩
身体の一部分しか
見ていないから。
・血液データ
⇩
各種臓器の機能だけ
・栄養状態
⇩
栄養素の単体の量だけ
・痛み
⇩
痛みの部分だけ画像を撮る
ぜーんぶ「一部分のみ」
違うでしょ!
身体はいろんな要素が複雑に絡みあって、補完して、支え合って機能することで生きています。
それをわざわざ全部別々に小分けにして、診るモンだから、
身体本来の機能・姿・形・原因が見えてこないんですね。
⇧人の身体って、案外いろんなところと繋がりがあるんですよね。
※医者はこんな勉強してません。
⇧繋がってないのに関係性があることもあります。
※医者はこんな勉強してません。
人間の身体って
不思議。
でもこんな病院の検査では分からない、身体の繋がりって、
・触ること
・動かすこと
・診ることで、
感じたり、
伝わったりしてくるんですよね。
・組織の抵抗感
・組織どうしの繋がり
・動き、組織の硬さ
・リズムの乱れなどから。
さー、こんな細かい組織の動き・繋がりを病院の機械でわかるかなー?
※呼吸と共に動く肝臓の動きなども触って感じとる。
※医者はこんな動き知りません。
⇧人の触覚と感覚は機械よりも、超超超高性能!!
時として、
セラピストの主観的な触れる検査が、病院の客観的な検査を超えることって、すごく多いです。
ただし、過信してはいけません。おごってはいけません。
僕らセラピストの手で触ることでの主観的検査は、病院での検査のあくまでも補足・補助な立ち位置です。
でも無限の可能性を
持っているのも事実!
現代社会はEBMとNBMで診る見方が、症状を治すには必要だと思っています。
今の医療では、
・EBM
(Evidence-Based Medicine)
⇩
科学的根拠に基づいた医療。
※統計学重視の医療。
・NBM(narrative based medicine)
⇩
個々の患者が語る物語から病の背景を理解し,抱えている問題に対して全人格的なアプローチを試みようという医療。
※Narrative(ナラティブ):「物語」や「語り」といった意味。
この2つがあるって
ご存知ですか?
NBMは患者さんが語る病から、
・人生を感じ
・心を感じ
・思考を感じ
病気が起きるまでの過程(物語)に重きを置き、患者さんと対話しながら症状の改善を図る医療です。
さてさて、
皆様、
どっちの医療が良いですか?
診察室で、
A:「あー、はいはい不眠ね。じゃ、不眠にはこの薬がいいから。これ出しとくね!何かあったらまた来てね!」診察時間:1分
⇧万人に有効な治療法を
提供するEBM
B:「不眠なの?いつ頃からこんな状況なの?最近何か悩む出来事や精神的・肉体的ストレスがあった?何か思い当たる節でもある?不眠に効くって言われている薬あるけど、飲んでみる?」
⇧個別性に重きを置くNBM
僕だったら、
絶対NBMがいいです。
しかし、実際の病院はAのような対応が多いのが現状。
こんな診察や関わり方、
アプローチで、
どんなに科学的根拠、
妥当性が高かろうが、
人を「症状が同じ」だからの理由だけで一色単にまとめて、症状に一番効く薬を出せば終わり。
⇧
こんなの人を、
馬鹿にしていますね。
人間を侮辱している!
・人が不調になる時
・人が病に倒れる時
そこには、
必ず、
「心に傷を負ったり」
「嫌なことがあったり」
「上手く行かないこと」
「不安に思うこと」
「怖いこと」があります。
それが時間をかけて
心をむしばみ⇨肉体をむしばむ。
その結果:病気や不調になる。
これが病気の根本的な
成り立ちです。
だから、
科学的根拠だけでは、
人は治らない。
人は変わらない。
人間はそんな
簡単ではないんですね。
当院が大事にしていること。
病院の科学や機械の検査で分かることもありますが、人間の手(触れること)によって分かることも凄く多いです。
どっちが良いか?ではなく、
得意/不得意があります。
どっちも必要で
どっちも大切なことです。
しかし、
・科学的根拠
・治療の妥当性だけでは、
治らないのが、
「人間の身体の奥深さ」です。
現代医学は「人の心」を置き去りにした、統計学に偏った医療だと感じています。
⇧だから、人が治らない。
最近は「心・脳の不調」によって、身体な症状に発展している人が増えたのも、人の身体を「物質」としか見ていないためです。
私は今の現代医学を
否定する訳ではありませんが、
今の医学・医療制度で
拾いきれない、
・不調
・病に悩む人達を
救う手助けを、
「人間の暖かい手」を使って行っています。
・客観性も大切にしながら、
・主観性も大切に、
施術を行う。
お客様と関わる。
お客様の心情や思考、
経緯を大切にしながら、
本人も気づかない所にある、
本当の原因を見つけ出し改善するお手伝いをこれからも行って行きたいと思っています♪